
これまでの人生
動画戦略家もってぃー 1990年8月19日生まれ。出身は富山県。大学生以降、石川県を中心に活動。
ひとりっ子の恩恵を受けまくったスネ夫時代
小さい頃の記憶はほとんどないんですが、ひとりっ子で、おまけに親戚も多かったので、毎年正月になるとお年玉を大量にもらっていました。 あとなぜかお年玉だけなじゃなくて、新作のゲーム機を買ってくれるおじさんもいて、字面だけ見たらドラえもんのスネ夫ばりの恩恵を受けていた幼少期。
暗黒の中学時代
漫画で「木刀持った先輩がいて、ナメてたら半殺しにされる。それが中学校」とバッチリ予習して、割とビクビクしながら中学生になったんですが、予習内容とはまったく関係のないところで僕の神童ルートは瓦礫のように崩れていきます。 それが部活でした。 中学では部活参加が強制で、なんとなくカッコ良さそうという理由でバスケ部に入部し、ゲボ吐くレベルの練習のキツさに3ヵ月も耐えられず、速攻で幽霊部員に進化。 そのうち部活の顧問に「部活来い」ってめっちゃ怒られましたが、それでも部活が嫌すぎたので、「部活を休むために学校を休む」というスキルを使う不登校中学生に上級進化を果たします。 中学生になってからも進研ゼミ的なやつは継続していましたが、僕がやっていたのは右から左へと答えを写して、たまに消しゴムで消すみたいなベルトコンベア式の作業です。 ゲームソフトと教養番組『さわやか三組』を見る頻度ばかりが増える一方で、ナイアガラのごとく急落していく成績。 あと友達もなんだか減りました。 でもいいもん! ゲームさえあれば! とか思ってたんですけど、このままだと闇堕ちすると思ったんで、中学3年生になった辺りからなんとなく高校デビューを意識し始めます。 高校を考え出す頃には、「そこら辺の誰でも受かるような私立高校に入れたらいいや」くらいで願書を出して、とりあえず滑り止めレベルの高校に無事入学。 「この高校ならみんな僕と同じくらいの学力だろうし、高校からやり直すつもりで高校デビューしよう!」と思っていたら、適当に選んで受験した中堅公立高校に歴史的な定員割れで合格。 親も先生も、「私立より公立の方がいいよ」と猛プッシュしてきたこともあって、そのまま中堅公立高校に入学することになりました。 ヤバい、学力マジ足りない。 このままじゃ高校デビューとか言ってられない。 と焦りに焦って、高校に入学する前の春休みに「勉強方法の勉強」をやり込みました。 この選択をしたこと自体、とんでもない奇跡だったわけです。絵に描いたような高校デビューを果たす
結果的に、高校デビューは歴史的な大成功を収めます。 学年最低レベルだった学力も、3年生になる頃には総合で学年10位台。 数学と物理に関しては学年1位を何度か叩き出しました。 人間関係も神がかっていました。 1年生の頃は「魔の13ホーム」と呼ばれるクラスに入っていて、そこには4つの派閥があって、互いが互いを忌み嫌っていたんですけど、なぜか僕はその4つの派閥すべてに所属するという絶妙な立ち回りを発揮。 それがあったからか高校の先生からも結構な信頼を獲得していて、3年生の前期には生徒会長になっていました。
突如開花した塾講師スキル
大学に入学してからすぐにファミレスでバイトを始めるも、店長に罵倒される日々であっという間に病み体質になりました。 「明日、バイト先に隕石落ちないかなぁ」とか思いながらほぼ毎日バイトに行き、そのせいで大学の勉強が疎かになり、1年前期ではやくも単位を落とすという悲劇。 当時の僕はめちゃくちゃ臆病者だったので、「辞めます」の一言が言えずにズルズルズルと引きずり、1年生の11月になってようやくファミレスバイトを卒業しました。 その後、将来的に教員になろうと思っていたので家庭教師の派遣登録をして、金沢市から車で1時間半くらいかかる七尾市というところで、4人の中学生の家庭教師を担当。 そして「家庭教師やってるんだったら、塾講師もいけるでしょ」と友達に誘われて、大手個別指導塾の塾講師バイトを掛け持ちでスタートしました。

ネット集客との出会い
独立してからは、まず個人契約の家庭教師を始めました。 集客はそこまで苦労しておらず、独立する半年ほど前からホームページ運用の勉強を始めていて、そこから数件の依頼があったのです。 家庭教師と並行して、ブログを書いてGoogleの広告を貼って稼ぐ、いわゆる『アドセンスブログ』の運用にも挑戦しました。 狙ったキーワードで検索上位を狙うSEOをゴリゴリ勉強し、2ヶ月間、3000文字くらいの記事を毎日3記事投稿という鬼のようなペースでブログを更新。 結果、3ヶ月目で月間PV数が100万を超え、広告収入だけで月収17万円を達成しました。
勉強を教えない学習塾
独立して半年くらい経ってから縁があって、年の近い3人の仲間と、大学受験専門の学習塾を金沢で立ち上げることになりました。 しかもただの学習塾じゃなくて、教えるのは勉強方法。そして勉強方法の実践のサポートを中心に行う『勉強を教えない学習塾』です。 オンボロのテナントを借りて、不要になった学習机やら椅子やらホワイトボードやらをSNSで譲ってもらい、教室内はDIYで改装。教材もそれぞれが学生時代に使っていたお古を持参して、手作りした本棚に並べていました。 恐ろしく安い初期費用で、2015年11月11日(1が一番多い日)に『勉強を教えない学習塾』がオープン。
▲オープン当初の教室
集客の中心はもちろんネットで、ブログだけではなくインスタグラムもフル活用。

▲3年目の教室の様子
その流れでYouTubeにも挑戦してみたんですが、この頃はYouTubeの攻略法がまったく見えず。 適当にインスタグラムからYouTubeに流入させてみたところ、登録者数700人くらいまでは伸びたものの、それ以降の伸びは亀のように遅くなり、塾を閉じる最後まで登録者数1000人を超えることはありませんでした。※塾を閉校してからもそのチャンネルはじわじわと伸びていて、いつの間にか登録者数1000人は超えていました。 そして2020年3月31日。 運営メンバー全員が、今の大学受験のシステムに違和感を覚えたことが起点となり- 「今のまま大学受験対策をやっていても本質的に良い教育はできない」
- 「かといって今から方針を変えながら運営しても中途半端なサービスを提供することになる」
- 「だったら思い切って今の塾は閉じて、それぞれでやりたいことを極める時間を作ってみてはどうか」
- 「そしてまたこのメンバーで教育がやりたいと思ったときが来たら、そのときにまったく新しい形の塾を作ればいい」
YouTubeをガチる
そして実は塾を閉校する半年ほど前、趣味でゲーム実況のYouTubeチャンネルを開設していました。といっても最初は何も考えず、やりたいゲームを何となくやって、ダラダラと喋っている様子を撮影して、それっぽく編集した動画を投稿していただけ。当然チャンネル登録者数も思ったより伸びず、1ヶ月経った頃の登録者数は43人。
このままじゃあかん!収益化最低ラインの1000人まであと20ヵ月くらいかかるじゃん!そんなにやってられっか! と思い、YouTube運用のやり方を徹底的に見直して、分析から再スタートしたところ変化はまもなく訪れました。 チャンネル開設から2ヶ月が経過した頃、チャンネル登録者数が1日で160人以上増加したのです。
そしてチャンネル運営3ヶ月目には、1日で400人以上登録者が増えることもあり、3ヶ月経過した頃にはチャンネル登録者数が5700人を超えていました。
それと同時期に収益化がスタートし、収益化1ヶ月目の収益は約70000円。2ヶ月目は22万円。3ヶ月目には78万円という大台を達成していました。

数字だけ見れば「半年でチャンネル登録者数4万人」という驚異的な記録を叩き出していたのです。
このチャンネル運営を通して
【YouTubeは運営方針さえ間違えなければ、誰でも万人チャンネルまで伸ばせる】
ということを確信しました。
そしてこのチャンネルは2019年8月12日〜2020年4月20日までの約8ヶ月間更新を続け、最終的な登録者数は43000人、累計収益額は約260万円という記録を残して、チャンネル運営を休止しました。

- 僕に息子が生まれた
- 別の分野に挑戦したくなった
の2つが主なんですが、詳しく話すと長くなるので割愛。
一言でいうなら「人と関わる仕事をしたくなった」のです。
動画の人として認知されるように
それから色んな経営者の方とお話する機会があり、自己紹介から僕のYouTubeチャンネルが話題に上がることも増えていきました。
やはり経営者の方々はそういう話題には敏感で、
- 「どうやって4万人まで登録者数を増やしたのか」
- 「0からYouTubeを伸ばすにはどうしたらいいか」
- 「うちの会社でYouTubeするとしたらどんな動画がいいか」
などといった質問・相談が相次ぐように。
さらに「セミナーを開いてほしい」という嬉しいお声掛けをいただき、YouTubeセミナーを開催するまでに。

そこからYouTubeを使ったマーケティングコンサルとして企業とお仕事させてもらったり、YouTubeを活用した採用動画を作成したり、個人事業主の方から「1からチャンネルをプロデュースしてほしい」とチャンネルプロデュースのお話までいただくようになりました。
「他の人のYouTube運用を成功させなければならない」というプレッシャーに押しつぶされないよう、それからさらにYouTubeの研究・勉強を重ねました。
1万円を超える情報商材を買い漁るようになったのも、その頃です。
そして2020年12月16日からプロデュース&運営開始したYouTubeチャンネルは、ちょうど5ヶ月経った頃にチャンネル登録者数4万人を達成。

今では、僕の記録を余裕で追い抜く勢いで成長しています。
ちなみにプロデュースチャンネルが登録者数1万人を達成したのは、プロデュース開始から約4ヶ月後の2021年4月7日。
投稿ペースは週2本をできる限り維持し、32本という投稿本数で万人チャンネルへの仲間入りを果たしました。

現在



AIとの出会い
そしてさらなる転機がこれ。 ここ2年で、僕はAIにもすっかりハマるようになりました。 ChatGPTが世間で注目される前から積極的に触ってみたり、画像生成AIなど他のAIツールも趣味の延長でいろいろ試しています。 その様子をFacebookなどで発信しているうちに、企業や市からセミナーの依頼をいただいたり、個人事業主の方からコンサルのオファーを受ける機会が増えました。 特にAIを活用して普段の業務を大幅に削減し、余力を生み出すことで、これまで挑戦できなかった領域にも踏み込めるようになったことが大きな変化だと感じています。 最近はAIを使ったYouTube運用にも取り組んでいて、編集をまるっと編集チームに任せる“思考放棄”スタイルで動画を更新してみる実験も進行中です。 僕自身、「仕事をAIで極限まで効率化し、余力でAIを使って副業をする」というスタイルこそ、この先の時代における新しい働き方だと信じています。 どれだけ労力を減らし、自由を増やせるか。 そのための最強ツールが、今はAIだと確信しています。最後に
ここまで長々と読んでいただき、本当にありがとうございます。 こうして振り返ると、僕の人生は「正しいやり方を徹底的に学んで実践する」というスタンスを軸に、さまざまなチャレンジを積み重ねてきたように思います。 ひとりっ子としてのスネ夫ライフをエンジョイした小学生時代、中学での挫折と暗黒期、奇跡の高校デビュー、塾講師に見出した楽しさからの独立、ブログやYouTubeでの収益化、そして学習塾の起業と閉校。 その後はAIを味方に効率的な仕事を実現し、人とのつながりも大切にしたいと考えながら歩んできました。 もしあなたが「この人にちょっとでも興味あるな」と思ってくれたなら、今日が僕とあなたの始まりの日です。 最後にひとつだけ、お願いがあります。 ここまでの文章を読んだ感想と併せて、「僕にどうしても聞きたいこと」を1つだけ書いていただけないでしょうか。- 「YouTubeを始めるには何から勉強すればいいの?」
- 「有名になるにはどうすればいいの?」
- 「好きなことで生きるために必要なことって?」
- AIを使う上での具体的なノウハウや悩み
僕のこれまでの人生は「試行錯誤」の連続でした。 でも、その「試行錯誤」こそが、最強の学習方法だと思うのです。 AIを使って普段の仕事を極限まで効率化し、余力でAIを使って副業をする。 そんな新しい働き方を手にするべく、あなたもぜひ、一緒に“正しいやり方”を見つけて、一歩ずつ前進していきましょう!